2011年8月23日火曜日

♯009 く <クレヨンしんちゃん/くれよんしんちゃん>



 クレヨンしんちゃんと聞いて思い出す事といえば、小学校中学校の時に通っていた眼科の待合室にあったコミックスのしんちゃんだ。
名前を呼ばれるまでのわずかな時間、この漫画をとても楽しく読んでいた記憶がある。
その割に、自分で買おうという思いには至らず、「なんであんなに夢中にしんちゃんを読んでいたんだ?」と頭を整理すると、そばに「婦人公論」とか「朝日芸能」「ひよこクラブ」など、おおよそ子供にとっては、全く興味が湧かないものが傍にあっただけだなと、大人になった今思う。

 しかし、今でもしんちゃんに手が伸びるような、似た感覚に陥る時がある。
それは、フラッと小汚い定食屋に入った時などによくある。
油にまみれたカウンターの端の方に積まれた雑誌に目をやると、何週前のか分からない「ヤングサンデー」と「ビックコミックスピリッツ」
そしてその中に埋もれる「ゴルゴ13の文庫版コミックス(決まって89巻とか中途半端)に手を伸ばしてしまう時。

「え?このクソラインナップ?これから選ぶの?」と思わずクレームを付けたくなるような状況でも、心情的には昔抱いた気持ちと遜色無い様に思う。

実はこういう光景って、よく見る「普通の定食屋の姿」だったりする。

子供の時に見ていたクレヨンしんちゃんの家庭、野原家はまさに「普通の家庭」だった。ひろしがいて、みさえがいて、しんちゃんがいて、ひまわりがいてシロがいる。一軒家の庭付きマイホームにマイカー。

大人になって気付いたのは、その「普通」っていうのが実はとても難しいってこと。今、思うと「普通」を支える父ちゃんって本当に凄いんだな。

 自分は中学生、高校生の時はとにかく自分の父親が「普通」である事を嫌がった。

当時、父親に対してこんな葛藤を抱いていた。
TVの中の大人は、こんなにおもしろい事を言っている」
「この本を書く大人は、こんな胸を刺すような文章を書いてる」
CDから聞こえてくるこの声は、こんなに感動する歌を歌っている」

…本当に世間知らずの子供の発想。子供は「普通」のありがたみなんか分からない。
大人になってやっと意味がわかった「普通」の父ちゃん、野原ひろしの言葉にこんなものがある。「正義の反対は悪ではない 正義の反対はまた別の正義なんだ」

こんなに芯を食っている、見事な言葉が他にあるだろうか。

この言葉にハッとしたのは「大人のあり方に自分の理想を押し付けていた」当時の自分の幼稚さに気付かされたからかもしれない。

いつだって、「普通」にやるのが一番難しい。
価値観なんて1つであるはずがないのだ。

ちなみに、野原ひろしの名言はいくつもあるが二番目に好きなのは…

「俺の靴下はジャスミンの香り!」   である。




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