先日東京から福岡に帰省した時に、母の弟である叔父さんと飲む機会があった。
僕は今年58歳を迎えるこの叔父さんの事がとても大好きである。
この叔父さんと飲むというのが、福岡に帰る理由の1つになっている。
現在は国家資格を取得し、自分の事務所を構え、かなり立派に仕事をされているのだが、若い頃は僕の母である「姉」や僕のおばあちゃんである「母」のことを
それはそれは大変困らせたらしい。
まずは「高校生の時の家出事件」
当時ギターが大好きだった叔父さんは、仲間達計3人で当時音楽の聖地 京都に家出したという。
「京都でブルースをやりたかったから」
この動機にはそれ以上の理由なんてきっとない。
今から40年以上前、1968年くらいの時の出来事。
海の向こうではマシュルームカットのお兄さんたちが「♪Let it Be(なすがままに〜)」とか歌ってた時代。
当然、福岡の実家は大騒ぎになり父親は教師ということもあり(かなり怖かったらしい)即座に警察に通報し、姉と母が捜索願を届けた。
どのくらいの期間、家出したか分からないが「高校生ブルースバンド」はすぐに警察に保護。
しかし泊める場所がないということで、警察はとんでもない行動に出る。
何と未成年、高校生である子供達を留置所の檻の中に入れられたらしい…
現在じゃとても考えられない…
迎えに行った姉(僕の母)は当時のことを「心臓が止まるかと思った」と振り返る。
向かいにはヤクザがいて「兄ちゃん達、なにやったんや」とドスの利いた声で聞いてきたのが、「未だに怖く忘れられない」なんて叔父さんは笑って話してくれた。
しかし、そんな痛い目にあっても叔父さんは、ギターが好きで好きでたまらなく、
大学進学を機に仲間と上京。そして予定通り大学は早々に辞めバンドに傾倒。
(※当時、叔父さんにとっての心の師匠はドアーズのジム=モリソン)
そして実家ではまたも行方不明扱い…
バンド活動は続き、当時はモッズやロッカーズ、シーナ&ザ・ロケッツなんかとも仲が良くて、僕が好きなバンドの1つブルーハーツとも対バンしたことがあるらしい。
僕が知りうる限り、ヒロトはインタビューで「普段着のままステージに出る」って言ってたけど、叔父さんは「ブルーハーツの連中は本番になると着替えだす」って飲んでる時笑って言ってた。
バンド自体は調子が良く、柳葉敏郎のデビューシングルに楽曲提供したり、ある程度ファンもいてバンドは勢いがあった。
「一生音楽で食っていける」バンドメンバーみんながそう思ってた。
そして、バンドに転機が訪れた。
当時、主題歌になったらヒットが必ず約束されるというTBSのドラマからオファーが舞い込んで来たのだ。
<後半に続く>
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